墓地の永代使用権と定期借地権の違いに騙されてはいけない

皆さん、多分聞いたことがあると思いますが、墓地には家は建ちません。また、一般的な土地のように売り買いもできないのです。



これは墓地埋葬に関する法律に記されている「墓地永代使用権利」というものです。



墓地の管理者であるお寺や市町村は、墓地を必要としている人に予め決まった面積の墓地専用の土地を貸します。永代というのは、未来永劫ではありません。



あるお寺では33回忌までを永代と呼んでいると聞きました。



市町村で経営している墓地も同じく永代使用権利と呼んでいます。こちらは、管理費を毎年支払います。



この管理費を三年間滞納すると永代の権利が無くなり、管理者へ墓地を返還しなければなりません。



永代使用権利とは、ずいぶんいい加減な定義であります。



お寺や市の霊園は使用者がで出て行くと、また、新たな使用者にその権利を売ります。



まさに、アパートです。大家と借り主との関係と同じです。



決して自分の土地にはなりません。

また、墓地以外の目的で土地の使用はできません。



お寺では、宗旨規則を遵守するので、墓地永代使用権利を譲ってくださいという内容の契約書を書きます。



これを檀信徒契約といいます。

檀家になるのが最初で、次に墓地の取得が可能となります。(宗派やお寺の違いや墓が市街地に近いかまたは、路線価がいくらかによって墓地永代使用権利の金額が決まります。)



料金は、檀信徒契約金5万円から10万円を支払い、墓地永代使用権利料金50万円から100万円を支払います。ですから、安くても55万円をお寺に支払います。



そのあと、石材店へ墓石代と工事代150万円から200万円を支払います。合計すると、205万円に消費税が加算されます。(永代使用権利料には消費税は加算されません。)



最近では、墓地定期借地権なるものも登場してきました。



墓地は最初から買うのではなく借りるものと決まっているのが、墓地永代使用権利です。



墓地定期借地権とは、決まった期間(10年、15年)墓地を貸しますという契約です。



ここで騙されてはいけません。

墓地は最初から借りるもの、期間が決まっているから安いというトリックです。



民間霊園の新しい売り方です。

使用者が亡くなり、管理者がいなくなるのを予想して、墓地が必要なくなると墓石をかたずけて遺骨を合祀墓に移動するという説明です。(墓地永代使用権利が含まれていないから安いというイメージを作ります。)



その場合、遺骨の移動や墓石解体工事費は頂きません。そういった説明を営業マンがします。



売る側にしてみたら永代使用権利が含まれていようがいまいが、あまり関係ないのです。



例えば、全部コミコミで79万円です。

ここには定期借地権15年分と墓石代が全部含まれています。



お亡くなりになったあとの墓石のかたずけと遺骨の移動(合祀墓)はすべてサービスです。



裏側の内訳をいうと、その墓地にかかる墓石代の原価は5万円から7万円です。工事代が約3万円です。土地に関してはただ同然です。



ですから、初めから約70万円の利益が出ているのです。



とはいえ、霊園の開発費用や宗教法人(お寺)への手数料を考えたら初期費用が何億とかかっていますので、総数3000基(墓の数え方)の内、200基から300基を売ればあとは利益という考え方で霊園経営をしているのです。(霊園は、宗教法人及び行政にのみ開発管理経営が許されているのです。ですから、デベロッパーは寺へ多額の手数料を支払い、名義を借りているのです。)



しかし、世の中そううまくは行かないもので、最初の200基くらいはすぐに売れたけどあとはなかなか売れないというのが現状のようです。




このように、墓地永代使用権利や墓地定期借地権には、裏側があります。




私の個人的な見解は、お墓はいらないということです。



遺骨は、パウダーにして山や海、自宅の庭に散布すれば良いと思っています。




長年石材業をしてきて思うことですが、こんな風にお墓を売って来ました。「天皇家が使用している最高級の石で、本小松石といいます。だから値段が高いのです。他にはあまりありませんので、希少価値も含めて考えると、あとあと良かったと思いますよ。」





または、「大平元首相の墓石は庵治石(あじいし)といって、なかなか取れない国内産の石です。すごく良い石です。総額、約1000万円くらいかかります。」




そんなことを言って、施主の心を揺さぶり売って来ました。




しかし、そんな時代はもう終わったと思います。



人間のあさましさを利用して、人の死さえも儲けの対象にしてきたことを考えると、人の欲望がこんなところにも現れてくるのです。



イエス・キリストは、家もなく寝るところさえも私にはないとおっしゃいました。



しかも、うまれた場所は馬小屋です。それもかいばおけのなかでうまれたのです。




それにもかかわらず、人の罪をお一人で背負って十字架にかかり亡くなりました。



でも、三日後には墓である洞窟にはイエスのご遺体はなかったのです。



よみがえったのです。




イエス・キリストは、いいます。

わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。




私は、高いお金を支払って豪華な墓に入るより、形がなくなり見えなくなりますが、永遠のいのちを選びました。




墓は、洞窟を利用した単なる穴です。



本小松石も庵治石も使っていません。



だから、私は死んだあとの骨はパウダーでよいと思っています。




山の上から粉を風に飛ばしてくれたらそれでいいのです。




holywind   とは聖なる風と訳しますが、聖書では風は神を現します。





そこには、残された家族や友人たちの思いと心があります。




それが本当の「想いを形に・・・」というある石材店の看板に書いてあったキャッチフレーズの意味だと思っております。







石の東陽インマヌエル Eternal Life's Ownd

ご遺骨のパウダー化で新しい葬送の形を創っていきたいと願っています。召された方への本当の想いとは、決して形にこだわることではなく、土から生まれたものは土に帰すというシンプルな方法で葬ることがベストだと思っております。

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