納骨堂の考え方

この写真は、納骨堂の裏側の様子です。

扉を開けると、両サイドに石製の棚があります。そこへ遺骨の瓶を納めます。

ここで、一般的にはセレモニーは終わります。あとは、一年後とか三年後にしか瓶を見ることはありません。

これを、ずっと繰り返します。
瓶の中の遺骨は、ずっとそのままです。

本来であれば、遺骨は土に帰してあげるべきでしょう。何故かは、土からできた肉体は土に帰すのが自然だと考えるからです。

もうひとつは、いつかは納骨堂の棚はいっぱいになってしまうからです。順番に土に帰してあげないと、納めるスペースがなくなってしまいます。

洋服の収納に例えるのは変ですが、いつかはタンスはいっぱいになってしまうから、順番に整理をしなければならないのと同じです。

では、なぜ、遺骨に関しては整理ができなかったのでしょうか。

それは、ずっと遺骨が拝む対象物であったのが原因だと思います。

遺骨や遺影に対して拝まないことのお願いを、クリスチャンの葬儀には牧師や司会者がお話をします。

見えないものに拝むことに慣れていない日本人の習慣がもたらした考え方だといえます。

納骨堂は、遺骨を納める一時的な場所です。
ですから、あとのことを考えるなら、パウダーが一番だと思います。

是非、おすすめいたします。

石の東陽インマヌエル Eternal Life's Ownd

ご遺骨のパウダー化で新しい葬送の形を創っていきたいと願っています。召された方への本当の想いとは、決して形にこだわることではなく、土から生まれたものは土に帰すというシンプルな方法で葬ることがベストだと思っております。

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